〔座談会〕
女優・安蘭けい 日韓の架け橋としての思いを語る

(写真右)新井 時賛
     学校法人新井学園赤門会日本語学校理事長/国際人流振興協会副会長
     LSHアジア奨学会(李秀賢顕彰奨学会)理事

(写真左)永井早希子
     学校法人東京ギャラクシー日本語学校校長/国際人流振興協会副会長
     LSHアジア奨学会(李秀賢顕彰奨学会)理事
2001年、山手線新大久保駅で人身事故が起きた。ホームから転落した酔客を助けようと、日本人カメラマンと韓国人留学生が線路に下りたものの、接近してきた電車にはねられ、3人ともが亡くなるという痛ましいものだった。日本人の命を救おうとした留学生の勇気ある行動が感動を呼んだ。犠牲になった留学生の名はイ・スヒョン(李秀賢)。彼の名を後世に受け継ぐため、また夢を抱いて日本に留学してくる学生のための奨学会が立ち上げられた。そして今年、元宝塚トップスターで舞台を中心に活躍している安蘭けいが、日本と韓国でチャリティーコンサート『A Piece Of Courage』を行う。安蘭は在日3世として、日本と韓国の架け橋になりたいという思いをずっと抱いていた。そんな彼女の思いをバックアップした国際人流振興協会の副会長を務める学校法人新井学園赤門会日本語学校の新井時賛理事長、同じく学校法人東京ギャラクシー日本語学校の永井早希子同校校長とともに、安蘭がその思いを語る。



宝塚退団後に募った在日としての意識
夢でもあった韓国でのコンサート

新井 安蘭さんのことは私も存じておりましたが、実はですね、永井さんが安蘭さんの大ファンで、誘われて観劇に出かけました。それが素晴らしい公演で、そのあとはミュージカルや『アントニーとクレオパトラ』ソウル公演にもうかがうまでになりました。そうした中で、日韓交流の架け橋になるのが安蘭さんの夢だと知ったんです。私どもの学校も韓国からの留学生が大変多く、日本との架け橋になりたいという想いを持っています。彼らの大先輩でもあるイ・スヒョン君もそうした想いを持っていた当校の学生でした。私も在日であり、いろんな縁を感じました。今の日韓関係はさまざまな課題がありますが、文化からの交流、民間からの交流を進めていくことは非常に大切だと思います。その架け橋に安蘭さんがなってくださるというのは私たちにとっても光栄なことだと思って協力を申し出たわけです。

永井 私と私の母は宝塚時代から安蘭さんファンですごく応援していたんですけど、退団なさってから、さらに応援して差し上げたいなと思っておりました。六本木で日韓交流おまつりという催しがございまして、2005年の第一回に、安蘭さんがゲストで歌をうたわれたんです。そのときに日韓の文化交流の架け橋になりたいとおっしゃっていたものですから、それを応援することが私の夢にもなりました。それで新井先生にこんな素敵な女優さんがいるのよということで巻き込んで、安蘭さんの応援団を勝手につくったわけです。私どもの学校も韓国人留学生が多く、日韓の交流も盛んになってほしいなと思っていましたし、安蘭さんが思いを同じくしてくださっていることはとてもうれしいですね。

新井 私と永井先生はなんだかんだ30年近いお付き合いになるんですよ。同じような時期に語学学校を立ち上げて、業界団体の仲間として苦楽を共にしてきました(笑)。そんな関係の中で安蘭さんをご紹介いただいたわけです。18年前にイ・スヒョン君が事故に遭って日本国民の感動を呼んだときも、それをきっかけにイ・スヒョンの奨学会をつくることになったわけですが、一緒に支えてくださっている存在でもあります。永井さんはいわば同志です。

安蘭 韓国でコンサートをやることが夢だったんです。先生方にはたわいのない会話の中から、私の夢を拾い上げてくださってとてもうれしいです。韓国籍であることの意味というか、意識の中で私だからできることがあるんじゃないかなとは常々思ってきたことなんです。亡くなった父親からも“お前はそういうことができるはずなんだから”と口癖のように言われていました。けれど自分ではどう動いていいかわからない。そんな状況でしたから、いろんなご縁もあって想像していたよりもずいぶん早く実現することになって、本当に感謝しかありません。

永井 宝塚時代にはそういうお気持ちを表明されることはなかったんですけど、退団されてからまもなく、ご本を出されたりいろんなチャンスで夢を語られるようになられたんですよね。

安蘭 私自身、在日であることを隠していたわけでもありませんが、宝塚では年齢もそうですけど、ファンタジーの世界ですから特に公表はしていませんでした。けれど退団してからは本当の自分を知ってほしいという思いもあって、本に書いたり、機会があるごとに話してきたことで、いろんなつながりができたと思います。

新井 在日の世界でも安蘭さんのことはよく知られていましてね、それをオープンにされて活躍されているので、日本だけではなく韓国でももっと安蘭さんのことを知ってもらえればいいなと舞台を拝見するたびに思っていたんです。今回は良いご縁になりましたね。

安蘭 初めはコンサートができるということが素直にうれしかったんです。でもそこには事故で亡くなったイ・スヒョンさんが授けてくれたテーマがある。チャリティーコンサートですから責任というか、特別な意味があるわけです。今回のコンサートでは、イ・スヒョンさんと同じような目標を持って、留学を志す方々のお役に少しでも立てるように、と思っています。


イ・スヒョンさんやご両親の思いを大切に
今回のご縁を未来につなげていきたい

新井 イ・スヒョン君は音楽も好き、スポーツも好き、勉強もできた。山登りが好きで、好奇心も強かった。稀に見る好青年でした。彼は高麗大学在学中に1年間の語学研修で私どもの学校にやってきて、日韓、韓日の架け橋になりたいという気持ちを持ち、日本のことが大好きでした。学校では友人からも慕われていました。そういう青年だったからこそ、反射的に目の前の人を助けようとしたのだと思います。本当に勇気ある行為だなと。実は彼の遺体に最初に立ち会ったのは私でした。事故に遭った日も、友達との鍋パーティーに向かう途中だったそうです。彼は新大久保駅前のネットカフェでアルバイトをしていたんですけど、バイト先のコンピューターが故障して修理していたがために運命的に事故に出遭ってしまった。本来ならば事故よりずっと前の時間に帰る予定だった。彼のご両親がまた立派なんですね。「今後、息子の夢を叶えることが私たちの仕事だから」と奨学会をつくってほしいと申し出てくださった。そして寄せられたお見舞い金を寄付してくださって、エルエスエイチアジア奨学会を立ち上げることができた。NPO法人は個人名が付けられないんですね。それでイ・スヒョン君の名前の頭文字を取って名づけました。この取り組みには永井さんも一緒に協力、支援してくださっていて、アジアから同じような夢を持って留学してきた学生を支援しています。この奨学会は市民の方の寄付で成り立った善意の塊です。そして今度はチャリティーコンサートもやっていただけるということで、私たちも大きな励みになります。

永井 留学生たちは自分の夢を実現するために日本にやってくるんです。でも彼らみんなが最終的には日本とそれぞれの国の架け橋になってくれる。志半ばでイ・スヒョンさんが命を落とされたと聞いたときは、ご両親のお気持ちを思うと胸が痛くなりました。その後イ・スヒョンさんの奨学会のお手伝いをさせていただくことになり、本当に私も良かったと思っています。

安蘭 事故当時、私は宝塚で星組に移ったころでした。自分の国でも勇気を振り絞るのは大変なのに、イ・スヒョンさんは異国の地で行動を起こした。自分が同じことに遭遇しても、行動に起こせるかどうかと考えました。簡単な言葉では伝えられないのですが、尊敬に値する勇気だったと改めて感じています。

新井 このチャリティーコンサートは本当にファンとしてもうれしいのですが、韓国のお客さんとも共鳴できるようなものになればと思っています。私個人としても非常に感慨深いものはありますが、安蘭さんのことを韓国の方にもっと知っていただきたい。

永井 コンサートのタイトルになった曲は、安蘭さんが主演された『スカーレット・ピンパーネル』の主題歌なんですけど、歌詞も本当にぴったりで、これをイ・スヒョンさんのチャリティーでうたっていただけるのは本当にうれしいです。ファンとしても奨学会の関係者としてもうれしい。安蘭さんのファンの方々、関係者の方々にもイ・スヒョンさんのことを少しでも知っていただければと思います。

安蘭 身の引き締まる想いです。私はファンの方を楽しませる、そして自分も楽しむというスタンスでコンサートをやってきましたが、今回はファンの方、ファンではない方にもたくさん興味を持っていただきたいと思っています。そういう意味では、自分が楽しんでいる場合ではないかもしれない。新井先生、永井先生からは私のうたいたい曲をとおっしゃっていただいてはいますが、イ・スヒョンさんのことを私自身がちゃんと理解して、心に留めながら、気を引き締めてうたいたいなと思います。そして今回も一回きりではなく、何か未来につなげていかれるようになればと思います。
(撮影:交泰 / 取材・文:今井浩一)